日本の覚せい剤の歴史!
意外と知られていないことだが、
覚せい剤は、もともと日本で生まれたものである。
東京大学の教授が、1893年に、風邪薬のエフェドリンの化学構造を変えて、
メタンフェタミンを合成することに成功したのが、始まりだ。
戦前には、『ヒロポン』 という商品名で、一般の薬局でも販売されていた。
戦時中には、軍事工場で働く人々や、軍隊の夜勤番、特攻隊員にも配られていた。
そもそも、覚せい剤という名称そのものが、
「疲れや眠気を取る」 という意味で付けられている。
しかし、戦後になると、軍が保有していた覚せい剤が、社会に流出し、
多くの中毒者を出して、社会問題になっていく。
覚せい剤中毒者のことを、「ポン中」 と呼ぶのは、
この時代の、「ヒロポン中毒」 の名残である。
ようやく、覚せい剤に関する取り締まり法ができるのは、1951年、
戦後6年目のことで、それまでは、多くの人が依存症に苦しみ、
取引は野放しになっていたのである。
覚せい剤のことを、「シャブ」 と呼ぶのは、
警察の隠語が一般化したからだが、
「一度使用したら、骨の髄までしゃぶられる」
というのが、語源といわれている。
基本的な知識と設備、原材料があれば、比較的作るのは簡単だが、
最近は、密輸入された覚せい剤を、暴力団が資金源としているケースが多い。
また、日本だけではなく、世界的規模で乱用者が増えている。
戦前には、依存症の強さを始め、数々の副作用に対する認識が浅く、
現代の、栄養ドリンクの様な感覚で、使用されていた覚せい剤。
その代償は、極めて大きいことを、改めて見つめ直さなければならない。
関連記事
・薬物依存症とは、どんな病気?
・薬物依存と中毒は、どう違う?
・薬物依存症が進行すると、どうなる?
・薬物依存症を防止する方法は、あるのか?
・覚せい剤と麻薬って、違うの?
・薬物依存の解決に、家族はどう取り組む?
・日本の覚せい剤の歴史